さて、今回は「慶應付属中合格者からの質問集」の第7回をお送りします。
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「慶應合格者からの質問集」
今回も、慶應付属3中学に合格した生徒さんが受験生時代にしてくれた質問や疑問を通して、慶應付属3中学が求めている「知性」というものについて少し考えてみましょう。
慶應付属中合格者からの質問#7 「アメリカのことをなんで『米国』って言うんですか?」
第7回目の今回は、5年前に慶應湘南藤沢中等部に合格した生徒さんが小4のときにくれた質問です。
いやでも違いますよね。
その日の授業は、そんな感じで始まりました。
実は昔は、アメリカのことを「亜国」と呼んでいた。
ロシアのことを「露」、ドイツのことを「独」、イタリアのことを「伊」と表すことは大半の方はご存じですよね?「日露戦闘」、「日独伊三国同盟」などでもおなじみです。
これらは、国名の最初の発音に漢字を当てはめているわけです。
そのルールに従うなら、アメリカのことは「阿」であったり「亜」といった漢字を当てはめるのが妥当な気がしますよね。おそらく、初めてアメリカのことを「米国」と漢字表記することを知ったときに、同じように思った方も非常に多いのではないでしょうか。
実は、江戸時代の途中まで、日本ではアメリカのことを「亜国」と呼んでいました。
この頃は、アメリカのことを漢字を使って「亜墨利加」と書いていたんです。ペリーが1854年に下田に来航した際に締結した日米和親条約の正式文書でも、アメリカのことを「亜墨利加」と表記しています。この「亜墨利加」の頭文字を取って、「亜国」と呼んでいたわけです。
ちなみにこの「亜墨利加」という表記は、1602年にマテオ・リッチが中国で作った世界地図で初めて表記されました。その世界地図が日本に輸入されたことで、日本の知識階層の間で「亜墨利加」という認識が広まったんです。(さらにちなむと、「日本海」という名前もこのマテオ・リッチの地図で初めて使われたと言われています。)
で、本題へ。
なぜ、アメリカを表す表記は「亜国」から「米国」に変わったのでしょうか?また、なぜ「米」という字を使うことになったのでしょうか?
「亜国」が「米国」に変わったのには、2つの要因がある。
要因①:ジョン万次郎。
亜国が米国に変わった理由の1つ目は、江戸幕府で通訳として働いていたジョン万次郎の影響です。ジョン万次郎は英語に精通しており、アメリカのことを「メリケン」と呼んでいたんです。
たしかに英語の発音でいえば、「メ」にアクセントがあるので、「アメリカ」と平たく発音するよりも、「メ」にアクセントを置いて「メリケン」と発音した方が、実際の英語の発音に近いわけです。
要因②:中国の書物。
また、同時期に中国から輸入された書物がにおいて、アメリカのことを「米利堅」と書く表記が多く使われるようになっていたことが、2つ目の理由です。
特にアメリカのことを紹介する書物の中で「米利堅」という表記が多用されていたため、日本人の間でかなり定着していったんです。
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以上の2つの要因が重なったことで、日本ではアメリカのことを「米利堅」と書き、「メリケン」と呼ぶようになりました。
そして国名の短縮表記も、「米利堅」の頭文字を取って「米国」となったわけです。これが現代にも続いているわけです。
まとめ。(「教わる」ではなく「自分で疑問を見つけ出す」というスタンスが求められている。)
慶應付属3中学では、教室で展開された授業を通してただ単に「教わる」という姿勢ではなく、「自分で疑問を見つけ出す」という姿勢、そしてその疑問を自分で解消していく姿勢を受験生に強く求めています。
これは言い換えれば、「受け身の学習姿勢」ではなく「能動的な学習姿勢」を受験生に強く求めているということです。
その姿勢を育むためにも、日常の中のふとした瞬間に抱く「?」を大切にしていきたいところです。メモ帳を持ち歩き、日々の疑問をメモする習慣をつけるのもいいでしょう。
受験直前になるとそういった余裕を持てなくなる子も多いので、できるだけ時間的にも精神的にも余裕があるときに、ぜひ心がけてやってみて下さいね。
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というわけで、今回はこのあたりで。
これからも「慶應付属中合格者からの質問集」を追加していく予定ですので、もしご興味あるようでしたらブログのブックマークを、もしくは更新情報を投稿しているtwitterのフォローをよろしくお願いいたします。
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ではでは、ご覧くださってありがとうございました。
また次回、お会いしましょう。